ANATOMICA(アナトミカ)の歴史
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今回はアール鎌倉の主力ブランドである、ANATOMICA(アナトミカ)についてご紹介したいと思います。
この記事を読んでいただいている方は、ANATOMICA(アナトミカ)がフランス・パリのお店であることや、オーナーはピエール・フルニエ氏であることを知ってる方も多いと思いますので、今日までの軌跡を順序だてて追っていきたいと思います。
また、ANATOMICA(アナトミカ)はフランスのブランドなのになぜアメリカモノが多かったりするのか、オーナーのピーエル・フルニエ氏とは何者なのか、その背景も書きたいと思います。まずはすべての生みの親、ピエール・フルニエ氏の紹介からしていきます。
●ピエール・フルニエ氏について
創業者であるピエール・フルニエ氏は1944年、フランスのサヴォワに生まれます。御年76歳。
1975年にGLOBE(グローブ)、1979年にHEMISPHERE(エミスフェール)、1994年にANATOMICA(アナトミカ)を立ち上げました。各お店の特徴は後に書きますが、いずれも伝説的なショップであり、世界を魅了するお店を続々と立ち上げたレジェンドがピエール・フルニエ氏です。
私が初めてピエール・フルニエ氏にお会いしたのは8年ほど前のパリのお店でした。当時20代前半だった私には、こんなに紳士でカッコイイ人がいるのかと衝撃を受けたことを覚えています。
現代のセレクトショップの始まりともいえるGLOBE(グローブ)も、いまでこそ大人気のオールデンのモディファイドラストをファッション市場へ広がるきっかけを作ったのも、当時ブランケットとして流通していたチマヨ村伝統のチマヨ織のベストをファッションとして流行らせたのは、ピエール・フルニエ氏でした。
ファッション業界で様々な功績を残し、いまもなお店頭に立ち接客も行うスタイルはレジェンドそのものです。
●GLOBE(グローブ)とは
ピエール・フルニエ氏は、1975年パリ・レアール地区にGLOBE(グローブ)を開店します。このお店は現代のセレクトショップの先駆けと言えるお店で、当時のパリにありながらその品揃えが凄いものでした。
Levi’s(リーバイス)、Lee(リー)といったアメリカの超有名ジーンズから、各国の軍モノやデッドストック品、ほかにはTHE NORTH FACE(ザ・ノースフェイス)、Hanes(ヘインズ)など今でこそ当たり前に知られていますが、これらが40年も昔のパリのお店に置いてあったと思うと、なんともワクワクするお店だったことがわかると思います。
上記の米国ブランドのジーンズを米国式洗濯方法により縮ませて店内で販売したのも同店がヨーロッパでは初めてであったようです。GLOBEでは女性がミリタリーものを着こなしている写真があり、この時代にファッションとして女性がミリタリーものを着用するというアイデアが素晴らしいと感銘を受けました。
GLOBE(グローブ)の当時のポスター。取り扱いブランドがすごいです。
さらにこのGLOBE(グローブ)では、当店の看板ブランドRockyMountainFeatherbed(ロッキーマウンテンフェザーベッド)も仕入をして販売していました。なんという偶然なのか、その後、RockyMountainFeatherbed(ロッキーマウンテンフェザーベッド)の商標権を持つ35SUMMERSと一緒にANATOMICA(アナトミカ)のモノづくりをすることになるとはこの時は誰も想像がつかなかったでしょう。
若き日のピエール・フルニエ氏が着ているのは、RockyMountainFeatherbed(ロッキーマウンテンフェザーベッド)のGORETEXジャケット。
●HEMISPHERE(エミスフェール)とは
そこから時が過ぎ、1979年パリのグランド・アルメ通りにHEMISPHERE(エミスフェール)を開店します。当時サンローランのナンバー3として活躍していたジャン・セバスチャン氏がピエール・フルニエ氏のバイイングセンスに目を付け、タッグを組み、開店へと至りました。
HEMISPHERE(エミスフェール)は、いまの日本のファッションに多大な影響を与えたお店で、日本の六本木にも出店しておりました。日本のお店は、ピエール・フルニエ氏とも親交の深い中村隆一氏がバイヤーとして運営しておりました。中村氏はその後、ユナイテッドアローズ2階のANATOMICA(アナトミカ)インショップ時代にも店頭に立ち、日本橋のお店がオープンした時にも看板スタッフとして店頭に立つなど、日本アパレル業界の重鎮として知られています。
HEMISPHERE(エミスフェール)とはフランス語で北半球を意味し、その名の通り、アメリカからヨーロッパのものまで様々な衣類を揃え、販売していました。
カウボーイブーツや、フィッシャーマンズセーター、LEMMERMAYER(レマメイヤー)のカーディガン、オルテガのベスト、チェスターバリーのスーツ、ロロ・ピアーナのマフラー、ALDEN(オールデン)の革靴からレイルロードソックスまで、国を問わず取り揃えられており、セレクトショップのお手本とも言える名店でした。
しかし、1993年に共同経営者のジャン・セバスチャン氏の逝去により閉店してしまいます。
●ANATOMICA(アナトミカ)とは
HEMISPHERE(エミスフェール)の閉店の翌年の1994年。ピエール・フルニエ氏はフランス・パリのマレ地区にANATOMICA(アナトミカ)をオープンします。同時に、ANATOMICA(アナトミカ)ブランドとしてのモノづくりにも着手します。その背景には、海外生産や工程の簡略化により品質が急激に低下したものが増え、ピエール・フルニエ氏から見て本物といえるものが世の中からなくなりつつあったことが理由です。その事から自身のコレクションを本国フランスですべて生産する決意をし、モノづくりを始めました。
そのコレクションはヨーロッパのメンズファッションの歴史と伝統、そして自身による「フィット感」に関するこだわりをベースにしたもので、人体の構造と動きに沿った作品でした。まさに「アナトミカル(解剖学的)」な作品で、伝統的な作業着や軍服の特徴を忠実に再現したものでした。
そして、2008年に始まった35SUMMERS代表の寺本欣児氏とのコラボレーションにより、ANATOMICA(アナトミカ)に新たな方向性が加わることになります。それが二人のフィルターを通した、日本のものづくりによる、アメリカンテイスト・ガーメントの誕生です。この二人が好む1960年代のアメリカのテイストから、US・NAVY関連の作品、イギリスのトラディショナルなラグランコート、スポーツラインとしての位置づけのスニーカーWAKOUWA(ワクワ)、レディースのマリリンと、次々にヒット作を展開していき、現在のANATOMICA(アナトミカ)となりました。
ANATOMICA(アナトミカ)にアメリカものが多いのは、寺本氏との出会いによるところが大きかった為です。
二人の強烈なまでのフィティングに対するこだわりや、見えないところまでも手を抜かない細かなディティール、さらにはずっと変わらない普遍的なスタイルから作り出された商品群は、いつまでも廃れる事のないアイテムばかりです。この機会にANATOMICA(アナトミカ)を知っていいただき、ぜひお試しいただきたいと思います。
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